「芸術は不要不急?」

前回は観光・旅館業からポストコロナについて、私たちの考えを掲載させていただいた。今回は角度を変えて、「芸術」の分野から、喜多方市の現状や未来について考えていきたいと思う。

「芸術」は「不要不急」なのか。昨年、世界中が混乱している中、ドイツ・メルケル首相は演説の中で「政府は芸術支援を優先順位の一番としている。」とドイツ政府が文化芸術を重要視する姿勢を示した。このことについて、「芸術=娯楽、遊び」という感覚が多い日本人にとっては理解できないことだったし、「経済の方が大事でしょ」か「メルケル、良いこと言うなぁ」くらいの印象ではなかったかなと思う。あまり興味はないかもしれないが、芸術支援を最優先にした理由を考えてみてほしい。ドイツの場合、全ての劇場が国公立で、その劇場に正式雇用されている音楽家や技術スタッフは公務員であるということが大きいと思う。公務員ということは、当たり前だが国や自治体が運営しているということである。公共事業や社会保障と同じレベルで、人の営みにおいて、芸術が「必要不可欠」であると考えられる。ではなぜ、「必要不可欠」なのだろうか。

 今回は当青年会議所の芸術に関わる仕事や活動をしている会員に現状と今後について話を聞いた。

「インタビュー:喜多方の芸術について」

・劇団きらく座 代表 齋藤政和さん

日本工学院専門学校で舞台照明を学ぶ。明治座舞台(株)に入社し、東京芸術劇場で勤務する。その後、喜多方市に戻り、喜多方プラザ喜多方シティエフエムなどで勤務し、現在は會津風雅堂で音響を担当している。

2010年に高校時代の恩師はじめ10名の仲間と劇団きらく座を設立。2020年から代表を務めている。また、喜多方発21世紀シアター喜多方子ども劇場など芸術関係の活動を楽しんでいる。

(一社)会津喜多方青年会議所 所属

・喜多方市美術館 学芸員 遠藤葉里寿さん

東北芸術工科大学芸術学部美術史・文化財保存修復学科で保存修復を学ぶ。早稲田大学文学部にて学芸員資格取得。

会津若松市教育委員会文化課臨時職員を経て、現在、喜多方市美術館の学芸員として勤務する。

(一社)会津喜多方青年会議所 所属

・インタビュアー 佐藤正治さん

(一社)会津喜多方青年会議所 所属

以下、敬称略。

自粛と気持ちの変化

佐藤「コロナ禍での現状について教えてください」

齋藤「去年は未知なるウイルスという状況でしたので、ほとんど活動ができない状態でした。今年も6月末までは自粛期間としていました。今は10月の演劇公演に向けて、準備を進めているところです。もちろん練習中はマスク、消毒、距離を取るなどの対策を実施しながら、稽古しています。 稽古を再開するまでは、活動に対するアプローチの仕方や気持ちの差が見えてきました。それは、それぞれ色々な状況があるので、一人一人の考えを尊重しながら活動しています。」

佐藤「ありがとうございます。それでは遠藤さん、美術館のコロナ禍での現状について教えてください」

展覧会の中止・延期相次ぐ

遠藤「当館も昨年の春に実施予定だった展覧会が、緊急事態宣言が出て延期になりました。6月の展覧会も中止に。8月の展覧会も通常通りは行えず、企画変更をして開催しました。去年は延期・変更を重ねながら、その中でも工夫してどうにか開館することができました。去年の延期分を今年に開催して、ようやく前半が終わったかなという感じです。その中でも、美術館としての大きな流れは、緊急事態宣言による閉館ですね。それでも美術館は全国的に感染リスクが低い場所だと言われています。今は展示入れ替え期間で、東京からやってきた作品を、安全に人が密にならないように工夫しながら、細心の注意を払って展示作業をしている状況ですね」

佐藤「ありがとうございます。では次の質問をさせていただきます。演劇と美術館、演者と受け入れる側(ハコ側)の感じること、どういったことを感じているのか、課題について教えていただければと思います」

市民限定…なぜ喜多方だけ

齋藤「私たちは喜多方プラザや厚生会館が主な活動場所になっています。こういう状況なので、人数制限や消毒などの必要性は分かっています。ただ、喜多方市では、公共施設の利用が『市民限定』という制限があります。市外に通勤している人もいるし、出張で県外に行く人もいる中で、果たして市民限定の利用に意味はあるのかなと。東京から来る一人の演者のために鑑賞会を延期、展示会の業者が市外にある会社だから中止にした団体もあります。恐らくこの様な影響があるとは思ってもみなかったでしょうね。他の自治体だと市民以外の集客もある有名人のコンサートやイベントを受け入れているのに、『なぜ喜多方だけ』という思いがあります。」

佐藤「そもそも歴史的に芸術文化に疎いから有事の時に融通が利かないとか、それとも、担当者の影響なのでしょうか。また、そのような行政に対して、要望したりする機会はないのでしょうか。声を届ければ少なくとも聴く耳は持ってくれると思いますがいかがでしょうか。」

齋藤「喜多方はパトロン文化があったので、芸術に関して受け入れる器量があったんですよ。大地主や造り酒屋が芸術家を支援していたんです。行政に要望する機会は少ないので、市民レベルで運動を起こしていく必要があるのだと思います。」

遠藤「担当が市文化課なので言い続けるというか、明らかにお客さんが減っているし、1日に1回は市外の人から『何で入れないんですか』『こういう措置は喜多方市だけですよね』という問い合わせがあります。こちらとしては担当課に言い続けるしかないと思います」

佐藤「でも、さきほど遠藤さんから伺いましたが、美術館は感染リスクが低いということを行政に対して言い続けて理解してもらわないと、行政がそういう対応をしてしまったら喜多方市として、いくら民間が頑張ってもそういう目で見られてしまいますよね」

遠藤「そういうことですよね。現在、当館では世田谷美術館の特別企画展を実施しています。開幕前、先方の方から『なんでそのような対応をしているんですか』と尋ねられたことがありました。今回の喜多方市の措置は、図書館に行って美術の本を見るなと言っているようなものです。自分が学びたくて行くところに、鍵を掛けて制限をかけていますよね。本来、芸術文化は誰でも受け入れられるというところが良いところなのに、と思ってしまいます」

齋藤「一緒くたになっているんですよね。公共施設は一律にしなきゃいけないという感覚なんでしょう。各施設の特性を考えて、普段通りに続けていくための議論をしてほしいですよね。おそらく今月で解除されるので、その辺の課題がスルーされていっちゃいそうな気がします。今回の対応で、行政の文化芸術に対するスタンスが見えました。文化団体や思いのある個人が集まってアプローチしていかないといけないと思っています。」

佐藤「美術館側で感じる課題というのは。」

特性理解し緩和の議論を

遠藤「ほぼ齋藤さんと同じですね。課題は1つ1つの文化の特性を議論して緩和していくというのをそろそろ考えないといけない時期に来ているんじゃないかなと思います。美術館は指定管理制度なので、お客さんをどれだけ入れたかっていうのが重要になってきます。施設が休館していたら、訪れてきた人もがっかりしてしまいます。また来年も同じ状況ならゲストを呼ぶ企画も断念せざるを得なくなってきてしまう。それが悲しいですね。運営側としては見てもらいたいし、人の考えを聞いてもらいたいとの思いはあるので、そういう機会が少なくなってしまうというのは…」

佐藤「ありがとうございます。お二方から共通して行政への不満がものすごくあると感じました。ただ不満を持つだけでなく、お二方が現役のうちに青年会議所として何ができるかを考え、行政に疑問を投げかけることも大事なのかなと思います。今後も斎藤清美術館で実施した7月例会のような活動をできればと思っております。

3つ目の質問です。主催者の熱意はどのような状況でしょうか。モチベーションなどをお聞きしたいと思います」

声を励みに

遠藤「最近だと私が担当した山中現展で、作家の山中さんが来て作品を作る工程を見せるワークショップを企画していました。しかし、コロナの影響で中止となってしまいました。でも、いずれ必ずやりたいなという思いがあります。作家が喜多方出身というのを市民に知ってもらいたいし、工程が見られるというのも貴重な機会だと思うので。参加予定だった人からは『残念』という声が多かったです。参加者の声を励みに活動しています」

佐藤「ちなみに山中現さんのワークショップは強行してまでやりたいという熱量だったんでしょうか」

遠藤「本人も喜多方出身で、集大成としての展覧会だったのでワークショップができなかったことに対して、残念だったと思う一方、住んでいる場所が都心に近いので自分がコロナを持ってくる心配もされていました。でもいつかやりたいと山中さんからも言って頂きました。結局、落ち着いた時期にやろうという結論に至りました。お客さんと作家からの声が私の今のモチベーションになっています」

佐藤「ありがとうございます。齋藤さんはいかがでしょうか」

何もしないと自然に熱は冷める

齋藤「去年は団体として、ものすごくモチベーションは下がっていました。何もしないと自然に熱は冷めますよね。『文化を止めない』、『演劇が好き』という気持ちだけは残っていたので、夏から動き出しました。やはり稽古をすると少しずつモチベーションが戻ってきますね。やっぱり、みんなやりたかったんだなと。」

佐藤「ありがとうございます。次はだいぶ切り込んだ質問になりますが、コロナ禍、いわゆる有事の状況で、そもそも芸術って必要なのか、有事だからこそ芸術が果たすべき役割についてお聞きしたいと思います」

自分と向き合う

齋藤「断言して必要です。必要かどうか問われていること自体、日本ってそんな国なのって思ってしまいます。生きていく上で芸術は必要だと思っていて、実際、美術作品や演劇を見ると何か考えますよね。それは自分の心を見ているわけです。それは有事だろうが平和の時だろうが人にとっては必要なことだと思うんですよ。今、コロナ禍で社会がネガティブな方に向かい、辛かったり、差別が増えたりして、人の心が狭くなってきてると思うんですよね。そんなときに芸術に触れることで、自分を見つめ直す時間になると思うんです。ネガティブからポジティブに…JCで良く言うポジティブチェンジですね。それに演劇やコンサートは空間だけじゃなくて気持ちも共有できる。日本人は10年前の震災の時に感じたはずなんですよ。感動を共有するとか、そういうのが大事だということを。」

佐藤「ありがとうございます。ポジティブチェンジというキーワードが出ましたけど、遠藤さんはどうでしょうか」

人生と芸術文化は切り離せない

遠藤「深いけど、改めて見つめ直す必要がありますよね。今齋藤さんが話されていたのは、人の気持ちというか「個」として考えた場合の芸術の在り方という話だと思うんです。まず美術館は作品を見るところです。震災の時も、保存修復という技術屋でありながら、まず人命が最優先だろうと思いました。文化ではおなかいっぱいにはならないんですよね。作品を見たからと言って、明日への原動力に物理的にはなりません。ではなぜ芸術が必要なのか。人が生きている限り、芸術・文化というのは世の中にあるんですよね。そこを客観的に、解釈してその気持ちを演じるのが演者の人たちだし、それを物にしたのが美術だと思います。芸術は世の中に当たり前にある感覚です」

佐藤「文化に携わっている人からしたら『芸術が必要』ということは当たり前の感覚ですよね。それをいかに浸透させていくかが課題になってきますよね。」

齋藤「まさにそこが課題ですよね。文化・芸術って、それに触れたときに人の営みが見えるから共感できるんだと思います。その共感ができる機会を増やしていくことが必要で、行政も巻き込んで官民一体で取り組みたいですね。」

震災で見えた芸術の役割

遠藤「震災の時も、『何で自分が必要なんだろう』という存在意義を見つめ直したんだと思うんですよね。自分は何のためにいるんだろうというもどかしい時期がありました。世の中に心が流されないように、自分を保つために作品を見てたというか。私は仏像が好きだから、自分の気持ちを確認するために見ていました。それが芸術の役割というか、美しいものを見ていたいという思いがありました」

齋藤「私も震災の時は色々と考えましたね。仕事もなくなって、考える時間だけあって、気持ちは落ちてました。そんな時に、震災の年の喜多方発21世紀シアターの実行委員会でこんな時にフェスをやっていて、いいのかという話になったんですけど、毎年、参加してくださる劇団やパフォーマーさんが、こんな時こそ必要だから続けようって、仕事が無くなって大変なのに協力してくれて… 実際、開催して、お客さんや子ども達の笑顔を見たときに、漠然とやっぱり必要なんだと感じました。それと心が救われたんですよね。それが今でも私が芸術に関わる理由かもしれません。」

佐藤「ありがとうございます。最後の質問です。現在は3D空間に絵を描いたり、フェスなども画面で見れたり、その場に行かなくとも芸術に触れる機会が増えてきたと思いますが、アフターコロナを見据えて、これからの芸術はどうあるべきかという考えをお聞かせください」

本物の価値

遠藤「赤坂憲雄さんの講演会で『こういう時だからこそ、自分の地元を発掘して地元を見つめ直す機会なんじゃないか』という話に共感しました。私は喜多方美術倶楽部という大正時代の動きに関する研究を進めています。アフターコロナの時に、大きな美術館や博物館にある作品を借りてきて、著名な作家(横山大観や竹久夢二など)が喜多方を訪れていたことを伝えたいですね。芸術とデジタルについては、作品だけで言うと、本物の価値はもっと見直されると考えています。本物がこの世で一点しかないものという価値をデジタル化して、デジタルアーカイブとかVRで見ることができたりするけれど、鮮明な細かい人の目で感じられる光などは、本物じゃないと味わえないところだと思います。なおさら、本物の価値はデジタル化が進めば進むほど、高まってくると思います」

地域に根差して

齋藤「配信についてになりますが、舞台芸術に関していうと、演者とお客さんの相互関係で成り立つものなので、配信だとそれができないというデメリットもあると感じています。極端に言うと未完成を配信してるんですよ。配信は苦肉の策で、やっぱり客席には客がいないと。客の席ですから、ポジションが決まっているんです。それと、今後どうあるべきか…遠藤さんと同じで、コロナ禍で自分たちの足元を見つめ直すきっかけになりました。地域の魅力・歴史・文化・芸術をしっかり捉えて、地域に根ざしていくこと、身近に芸術があって敷居が低いことを目指していく。これまでとあまり変わらないのかなと思います。西会津は芸術家が来て地域に溶け込んでいますよね。そういう事が喜多方でもできたらいいですね。都市部のプロの劇団が合宿できるような稽古場を作れないかなと仲間と話をしたこともありました。空き家とか学校の利活用、地域の方が芸術とふれ合う機会にも増える。そんなことができたら面白いなと。芸術で人と人が共感できて面白いことを続けていきたいと思いますね。」

佐藤「皆さま、本日はありがとうございました」

芸術…芸術こそ至上である!

芸術…芸術こそ至上である!

それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。

ニーチェの言葉である。

生きることを可能ならしめる、ということは芸術がないと人間は生きられない、ということ。今回、齋藤さんと遠藤さんに話を伺って気づいたのは、確かに、芸術がない世界は想像できない、ということだ。

「芸術に触れることは自分を見つめ直す時間になる」「自分の気持ちを確認するために芸術に触れる」というお二方の言葉がとても印象的で、この感覚は芸術に携わっている方たちのみが持ち合わせているものではなく、人間誰しもが持ち合わせているものだと思う。

ただ、様々な技術が発展し目まぐるしく変わりゆくこの世界で、こういった感覚は薄らぎ忘れ去られかけている気がする。

喜多方市という芸術に恵まれた環境に住み暮らす身として、一人ひとりが芸術について考え直す必要があるだろう。

まちの未来を担う青年会議所は率先して芸術に触れ、発信していかなければならない。

次回は、第1回~第3回の総まとめをし、今、私たちが未来を切り拓くためにやるべきことや未来への提言について触れていきたい。